公開日: 2023/07/17
話題作『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』(WAVE出版)の著者が、“車と旅”の海外版について語る新連載エッセイ。
“楽園を探す海外放浪夫婦が、中古の軽自動車を買って北海道から南アフリカへ。
警察官の賄賂を断ってジャングルに連れ込まれ、国境の地雷地帯で怯え、貧民街に迷い込み、独裁国家、未承認国、悪の枢軸国、誰も知らないような小さな国々へ。
南アフリカ・ケープ半島の突端「喜望峰」で折り返して日本に戻ってくる予定が……。”
フェリーに乗って、サハリン島からユーラシア大陸へ渡った。間宮海峡のこっち側は、“ロシア本土”である。
左目の左端から右目の右端まで広がる森に、細い道がひょろりと延びている。この頼りない道がなんだかんだとヨーロッパ大陸に続いているわけだが、とてもそうは思えない。どちらかといえば、この世の果てで行き詰まる気がするが、時速70kmで朝の9時から夕方の5時まで走れば、3週間ちょいでスペインに着く、……はずだ。
がんばれ、Chin号!
“Chin号!”とは、旅のブログ『旅々、沈々。』にあやかった、愛車の愛称である。御歳10万km。日本の中古車市場では壇上に上がることなく引退させられるロートルだが、まだまだ若いもんには負けてませんよ。マフラーから出る鼻息は小気味良く、西へ向かって熟年の走りを見せていた。
と思ったら、とんでもないものが目に入った。エンジン警告灯が、点いている。
どうしてオレンジ色に輝いているのか、警告灯よ。まさかと思うが、故障したのではあるまいか。よりによって、エンジンが。まだ40kmと走っていないのに。
しかもシベリアの森のなかである。“本土”には、人喰い熊どころか、虎までいるというのに。むしろこの辺こそがアムール虎の産地だというのに。今すぐにでもエンジンが、しゅるるる〜と止まるような気がしてきて、心臓から大腸にかけて胃もたれしてきた。
「あ゛〜゛〜゛〜゛」、どうしたらいいのだろう。落ちつけ、まず、落ちつこう。
「Yuko、オレンジがアレしたから、止まったらアレなんで停まるね」
落ち着きのないことを言いながら、アクセルからそーっと足を離し、ゆーっくりと路肩に寄せて停まった。ひと呼吸入れる。ギアをニュートラルにする。心なし震える手でエンジンを切り、ハザードランプのスイッチを押した。んちゃ、んちゃ、んちゃ……。
不運を嘆くには早い、まだ、故障と決まったわけではない。おそらくアレではないかと、素人ながらに考える。シベリアの空気に慣れていないエンジンが、動悸とか息切れを起こし、少々不整脈になったのではないか。コンピュータ制御かどうかは知らないがファジー機能がないのだろう、眩暈なんかはお年寄りにはよくあることだ。
だから、ちょっと休めば大丈夫。まずは深呼吸……、深呼吸するのはボクだ。呼吸を整えながら考えるに、オレンジ色に輝いたのは幻だったかもしれない。神さま仏さま、何卒よろしくお願いしますと、祈りながらキーを回し、エンジンをかけてみた。
件のマークだけが消えることなく、輝いたままだった。神も仏もあったもんじゃないと、そっとエンジンを切った。このマークは、エンジンにトラブルがあったときに発光すると察するが、勘違いというセンもある。なにせロシア語以上に車に疎いのだから、素人が知ったかぶりせず、頭をニュートラルにしよう。